UNU-IASいしかわ・かなざわオペレーティング・ユニット(OUIK)は、2016年末に発刊したOUIK生物文化多様性シリーズ3の「能登の里海ムーブメントー海と暮らす知恵を伝えていくー」刊行記念イベントとして、「さまざまな仕事を通じて支えあう里海づくり」と題したシンポジウムを開催、国連大学本部では「里海(さとうみ)」をテーマとした初めてのシンポジウム開催となりました。
本シンポジウムは、国連が定めた6月8日の「世界海洋の日(World Ocean’s Day)にあわせ、6月5日から9日まで国連本部において開催された国連会議「The Ocean Conference(国際海洋会議)」と連動して開催されました。開会の挨拶では、渡辺綱男 UNU-IAS OUIK所長が、国連海洋会議においては持続可能な開発目標(SDG)14の「海の豊かさを守ろう」の達成支援を重点的に取り上げられたことを紹介しました。海洋大国である日本の「里海」という先人達から受け継がれてきた海と暮らす知恵と、現在さまざまな仕事や立場を通じて支えあう里海づくりの取り組みを、SDG14をはじめ海の持続可能な発展の課題解決に貢献できるヒントとして本シンポジウムから世界に提案してほしいと期待を述べました。
第1部「国連大学と里山・里海」では、武内和彦UNU-IAS上級客員教授が「『能登の里山里海』からみる森里川海のつながり」と題した基調講演で、近年失われてしまった「森里川海」をつなぐ里山と里海の連環を再構築することは、地域における新たな人々のつながりや新しい産業の構築をもたらすとももに、人工物による陸と海のつながりの分断や、気候変動などの影響を軽減できると述べ、そのために、生態系を活かした防災・減災や気候変動適応策の検討が求められていると強調しました。里海では、多様な主体の参加による持続可能な漁業資源の管理と、付加価値の高い漁業やブルーツーリズムなどの経済的振興を通じて、豊かな里海を次世代に継承することが重要で、それを実現するために、漁法や資源管理など、伝統的なコモンズの考え方を活かしつつ、現代社会に適応した開かれたコモンズによる漁業資源や沿岸の共同管理の仕組みづくりが必要だと指摘しました。そして里海に代表される「海の豊かさ」を守ることは、国際社会が総力をあげてその達成を目指す「持続可能な開発目標SDGs」(とくにSDGs14)にも大きく貢献すると説明し、里海の概念に対するさらなる関心を呼びかけました。
続いて、イヴォーン・ユーUNU-IAS OUIK研究員から、OUIKが2015年から開始した「能登の里海ムーブメント」の実施背景を説明しました。2011年に国連食糧農業機関(FAO)より世界農業遺産として認定された石川県能登地域の「能登の里山里海」において、2014年に調査を行ったところ、世界農業遺産認定から3年経っても、里海に関してどう関わっていけばいいかという自治体や地域住民の声を聞いたことから、里海に特化した「能登の里海シリーズ講座」を企画しました。年に3回程度、「海草・海藻」、「伝統漁法」、「貝類」、「ブルーツーリズム」、「里川」、「女性と里海(海女漁)」など開催市町のニーズに応えたテーマを設定し、これまで計7回を開催し、また能登地域の農業史や半農半漁の生業に関する研究活動、アマモサミットや海外の学会発表など発信活動について報告しました。さらに、「里海(Satoumi)」という、陸と海のつながりを重視した、沿岸地域の生業を通じて維持する海の環境と資源管理は、国際的な漁業資源問題への解決策として提案できるコンセプトであると国連大学では位置づけており、これからも世界に向けて「里海」について発信していきたい、と今後の活動目標を付け加えました。
第2部「『能登の里海』を支える仕事」では、能登地域で里海と関わる仕事をされる 穴水町新崎・志ヶ浦地区里海里山推進協議会会長・漁師の岩田正樹氏、 石川県水産総合センター企画普及部普及指導課長の池森貴彦氏、日本航空高等学校石川教諭の須原水紀氏が講演をしました。岩田氏は、世界農業遺産の認定をきっかけに、一時途絶えてしまった穴水町を代表する400年の歴史も伝統的なボラ待ちやぐら漁を漁師の仲間たちと一緒に復活させた活動の経緯を紹介しました。ボラに対する一般的なイメージと異なって臭みが無く肉質が美味しい穴水町の銀ボラを育てるには、豊かな海とキレイな水質を維持する里山と里海のつながりがとても重要だと説明し、自らを「世界一アホで貧乏な漁師」と語る岩田さんは、穴水町の誇りである「待つ漁業」のボラ待ちやぐら漁を通して地元の元気をつけながら、環境を重視した持続的な漁法について発信していきたいと意気込みを述べました。
池森氏は、能登の藻場の現状や、2011年と2012年に能登町、珠洲市、七尾西湾、2013年から現在まで輪島市、2016年には加賀市で行った藻場調査に関し発表しました。能登半島には主にホンダワラ類によって形成されるガラモ場とアマモ類によって形成されるアマモ場があり、能登半島には約150k㎡の藻場(もば)があるとされ、その広さは北海道、青森県に次いで全国第3位、ホンダワラ類の藻場としては約120k㎡で全国1位であると述べました。普段は自ら潜水してガラモ場とアマモ類の分布域と生育状況の調査を行っていますが、最近は輪島市で海女さんたちの協力を得てツルアラメ母藻設置にも取り組んでいます。能登地域には200種類以上の海草・海藻類があり、うち30種類が地域では食されていることなど、能登の海の豊かさを伝えてくださいました。
須原氏は、能登半島の唯一のダイビングショップ「能登島ダイビングリゾート」の代表として、2004年開業以来13年間、ほぼ毎日、お客さんのダイビング案内のために潜水するほか、実は漁場保全のモニタリングも定期的に行っていることを紹介しました。ダイビング業として担う里海での役割は、漁師の操業サポート、記録・撮影、環境のモニタリング、研究への情報提供、海上安全への協力、情報発信、教育だと須原氏が実際に取り組んでいるさまざまな活動を挙げ、マリンスポーツのサービスを提供するだけではないことを説明しました。特に、ダイビング業者と漁業者の間の摩擦について、能登地域では、網の手入れ、点検、水中の魚類藻類の情報提供、漁礁の確認などダイビングは漁師の操業サポートと漁業事業者の生業に協力でき、漁師でも見ることができない水中に潜ることで、漁師だけではできない仕事を担い、両者が協力することで里海の水産業を支えていると須原氏が説明しました。今年4月から日本航空高等学校石川の教諭を務める同氏は、同高校の部活動で潜水を指導しながら、来年新たに開講する「海洋コース」を担当する能登島ダイビングリゾートのオーナーでもある鎌村実氏とともに、次世代に里海を守る大切さを伝えていくという決意を語りました。
そして第2部の「里海を支える輪島の女性たち」対談では、輪島の海女漁保存振興会会長・海女の池澄幸代氏とユー研究員が石川県輪島市海士町で450年前から受け継がれてきた海女漁について話しました。海女さんになるきっかけを尋ねられると、池澄氏は幼少期から海女さんの母親に憧れて自ら海女さんになると志望してから、約40年間、妹の細道澄代氏と一緒に海女として、そして漁師のご主人とともに、舳倉島(へぐらじま)や七ツ島(ななつじま)などの輪島沖の海で素もぐり漁に従事してきたと答えました。さらに海女漁を行うときに使う道具や着用するものを説明するなど、海女漁の仕方を紹介しました。昔は海女さんが命綱(いきづな)を腰に巻いて潜水し、引くと船上の旦那さんが引き上げてくれるという夫婦漁が行われていたが、現在は命綱を使った漁は行われていないそうです。それでも、海女漁は基本的に海女2人1組で、相方と助け合い、命を預けあいながら、アワビ、サザエ、ナマコ、ワカメ、天草など一年を通して漁を行っています。現在はボンベなど潜水器材が簡単に使用できるのになぜあえて素もぐり漁にこだわっている理由を聞かれると、池澄氏はあえて非効率にもみえる素潜り漁だが、だからこそ自ら取り過ぎないような工夫を通じ、資源管理をし、海の環境維持のためだけではなく自分たちの生業も長く維持でき、海女漁という伝統的な漁法が持続可能な形で続けられていると説明しました。
第3部のパネルセッション「里海づくりを支える生業」では、NPO法人 里海づくり研究会議理事・事務局長の田中丈裕氏から、「里海づくり」の聖地といっても過言ではない瀬戸内海において、全国にいち早く海の再生を実践した「岡山県日生のアマモ場の再生とカキ養殖」事例を紹介いただきました。魚介類の産卵場・保育場として重要なアマモ場は、日生町地先において、その面積は1950年代の590haから工業汚染などにより1980年代には12 haまで激減して壊滅的な危機に落ちてしまいました。その危機を危惧した地元の漁師の故本田和士氏が1981年に、当時青年部のつぼ網漁師とともに、岡山県水産課、岡山県水産研究所、備前市(旧日生町)や研究者に働きかけ、マモ場の役割・機能に関する知見やアマモ場再生技術に関する研究を求め、自らアマモを植える活動に熱心に取り組みました。そして、水質や底質改良にもアマモの植え付けにも役立つカキ殻を利用する手法を考え出し、そのためにアマモ場の再生とカキ養殖を組み合わせた漁業のモデルを発展させたところ、アマモ場の面積は2015年時点250haに回復し、播種数が1億粒に達成したと報告しました。その取り組みは2016年日生町漁業協同組合の『海洋立国推進功労者表彰』総理大臣賞受賞として評価されました。さらに2017年2月6日に新たに「備前市里海・里山ブランド推進協議会 with ICM」を設立し、「協働」「共生・共存」「学習」「安心」「経営」をキーワードに、漁協・農協・森林組合・商工会議所・商工会・観光協会・備前焼陶友会・八塔寺ふるさと村・大学・有識者・教育委員会・教育関係者・地域おこし協力隊・笹川平和財団海洋政策研究所・NPO里海づくり研究会議・備前市などを専門委員会にし、実に多様な主体による先進的な里海づくりの活動が展開されています。
元宮城県南三陸町役場企画課職員で現在は個人事務所デザイン・バル代表 太齋彰浩氏は、東日本大震災後の宮城県南三陸町の「森・里・海・ひとを活かしたまちづくり」の取り組みを紹介しました。津波により壊滅的な被害を受けた南三陸町では、漁業も存続の危機に瀕しました。地元の漁師の奮闘と各地からの支援により、2014年度には水揚げ量がすでに震災前水準に戻ったが、そのとき地元の漁師は「復旧」だけではなく「復興」を目指そうと決意し、新しい試みに挑戦しました。特に南三陸町の戸倉地区では、宮城県漁業協同組合志津川支所が実施する「がんばる養殖復興支援事業」のもと、カキ養殖部会(38名)が養殖密度を下げることを決め、環境に大きな負担をかけず、地域社会や人権にも配慮した養殖法を取り入れました。その結果、平成28年3月、日本初となるASC国際認証(Aquaculture Stewardship Council:水産養殖管理協議会)」が認証する養殖版海のエコラベル。)を取得することができました。さらに、 民間事業者と町がつくる南三陸町森林管理協議会が宮城県内初のFSC「Forest Stewardship Council:森林管理協議会)」国際認証を取得した地域とも連携し、森〜里〜海の循環的な資源利用を図る「南三陸町バイオマス産業都市構想」を実施することで、震災の危機をチャンスに変えて新たな里山、里海づくりに着手しています。
里海の国際的意義については、東京大学大学院農学生命科学研究科教授八木信行先生は、まず海の環境保全の見方に関して日本と欧米との違いを次のように分析しました。多くの米国人・英国人は郊外における環境保護を優先し、都会の環境に対して払う関心が少ない一方、郊外の野生の動物などを人間から保護することには熱心な傾向があります。この根源には、環境が人間と切り離された存在であることなどにあると考えられています。これに対して日本では、人間も外部環境の一部としてとらえ、都市とその外部環境はつながっているという考えがあります。江戸時代にはすでに循環型社会が実現していたこともあり、「循環型社会」や「森と海と川の連関」といった環境保全の概念に対する理解が進みやすい背景があります。日本が実践している「里海」や「里川」など物質循環や人間と自然との関係を重視した環境保全は、今後もさらに世界に発信し、国際的な議論に新たな知見を提供することが期待されています。加えて、本シンポジウムの里海づくりの各事例について、それぞれ持続的な活動をされている皆さんの努力に見合った収益が得られるように、国内の消費者へ向けた「里海」の発信も重要であるとコメントしました。
パネルセッションでは、渡辺UNU-IAS OUIK所長の進行のもと、能登地域、岡山県備前市日生町、宮城県南三陸町の登壇者がお互いの活動について意見交換をしました。例えば能登地域の伝統的な漁法や資源管理の現代的活用、日生町の中学生と地元住民の積極的な参加、南三陸町の森、里、海の循環的な資源利用のためのマルチセクター連携と国際的認証の活用に、お互いに関心を寄せ、これからはさらにお互いの「里海づくり」について学びあいたいと意気込みを話されました。そして、参加者から「里海」の定義や、その定義に基づいた水産の認証制度が能登地域にはあるかというの質問がありました。それに対して、ユー研究員は水産に特化した認証制度ではないが、世界農業遺産「能登の里山里海」の保全に貢献する商品の「能登の一品」認証制度が2015年から実施されていることを紹介しました。そして里海の定義に関しては、現在学術的な定義は柳哲雄先生が1998年から提唱した「人手をかけることで、生物生産性と生物多様性が高くなった沿岸海域で、それを実現するのに太く、長く、滑らかな物質循環が必要」という生態的な定義が一般的ですが、それを維持するための社会的、経済的な側面を考量した里海づくりの概念に広げてとらえることも必要だと国連大学が考えているとユーUNU-IAS OUIK研究員が説明しました。これに加え、田中丈裕氏は、今でも常に柳哲雄先生と里海の定義や里海づくりのあり方についてよく議論して一緒に里海づくりの活動に取り組んでいる立場から、柳先生による里海の定義は当初環境的な物質循環に重点を置かれていたが、それは里海の概念をまず広く理解してもらうための最初の定義で、現在は里海を支えるために社会的、経済的な要素も含めて包括的に取り入れなければならないと、柳哲雄先生と里海づくりの仲間同士の間で議論がなされていると補足しました。さらに、田中氏は、日本各地が環境の異なる里海を有し、里海には一言で説明しきれない「多様性」があることを付け加えました。
閉会の挨拶では、山下吉明石川県農林水産部里山振興室長が、世界農業遺産「能登の里山里海」においてUNU-IAS OUIKが実施している「能登の里海ムーブメント」を東京で発信できたこと、そして地域内の発信もさらに強化し、里海づくりについて理解していただく重要性を実感したこと、そして東京から能登に足を運んでいただき、地元の人々がまだ気付いていない能登の里海の良さを皆さんから教えていただけたらと、結びました。
本シンポジウムは約80名の方々にご参加いただき盛会のうちに無事開催できたこと、関係者をはじめ、これまで「能登の里海ムーブメント」にご協力、ご応援いただいた方々に深心より厚くお礼申し上げます。今後とも「能登の里海ムーブメント」を継続してまいりますので、引き続きよろしくお願い致します。
シンポジウムのプログラム、登壇者プロフィールは下記ファイルを参照ください。