金沢SDGsでは、持続可能な金沢を実現するための大切な5つの方向性を導き出しました。その4番に「誰もが生涯にわたって、学び活躍できる社会風土をつくる」を位置づけています。そのためには、まずは多様な人が働ける労働環境が大切です。
では、現在、障害のある方は“個人の強み”を生かして活躍できているのでしょうか?
16回目となるSDGsカフェでは、視覚障害(ロービジョン)当事者の林由美子さんにその実情と、2030年の金沢をIMAGINEしてもらい、また、多様な人の就労や学習の支援を行っているヴィスト株式会社の奥山純一さんにはアイデア提供をしてもらいました。
すべての人や企業にとっての“働き方ってなんだろう”を見つめ直す、特別な機会となったことと思います。
20年続けた仕事ができなくなる!
金沢ミライシナリオ「シナリオ4」では「働きがいも、生きがいも得られるまち」にしようという中で、「視覚障害者フレンドリーなまちにする」「働きたい意欲のある“ヒト”に合わせた就労を支援する」という項目があります。では、現在はどうなのか? 「『あうわ』視覚障害者の働くを考える会」の代表で、自らも弱視(ロービジョン)の林由美子さんに紹介してもらいました(以下要約・再編集しています)。
IT企業で約20年間SEをしていましたが、14年前に物が見えにくくなり、上司に相談すると自己都合退職を促されました。当時は中学生だった娘がいるひとり親世帯だったため、仕事を辞めるわけにもいかず、自己都合退職を断り、身体障害者手帳を取得。他部署へ異動となって、慣れない仕事とフォロー無しの環境に無理が重なり、見えにくさも進み、体の不調も伴うようになって休職しました。
他に自分にできる仕事がないかと、石川県障害者職業能力開発校に問い合わせたりしましたが、視覚障害者の仕事は見つからず、2008年に石川県立盲学校に入学を決めて、はり師、きゅう師、あん摩マッサージ指圧師の国家資格を取得しました。通っている3年間の生活をどうしたらいいかという不安がありましたが、盲学校に行く以外の選択肢は見つけられませんでした。
盲学校で保護者向けの進路を考える会に出席する機会を得て、そこで実は前職のSEが視覚障害者の職域の一つであることを初めて知り、驚愕します。これをもっと前に知っていたら、会社を辞めなくても良かったのではないかと非常に残念に思い、その時の気持ちが今の活動の原動力になっています。
また、在学中に、石川県視覚障害者情報文化センターを知り、白杖や拡大読書器など、生活の助けとなる補助具のことも知り、それまでは、そのような情報も得ることができませんでした。
卒業して資格も取得しましたが仕事がなく、自営を視野に入れて臨床研修生として学びます。SEを辞めざるを得なかったことはとても残念でしたが、自分で進んだ道なので自立に向けて頑張り、2012年に、「レディース鍼灸院 織歩(おり〜ぶ)」の開業にこぎつけました。そこから生活・仕事とも自立して行けるまで、さらに3年ほど。見えにくくなってからトータルで9年ほどかかってようやく自立できました。
鍼灸院を営むかたわらで、2017年には「『あうわ』視覚障害者の働くを考える会」を立ち上げて、障害者に限らず、みんなでいきいき活躍できる社会を目標に活動しています。
そもそも視覚障害者とは? どんな仕事ができるの?
身体障害者福祉法で視覚障害者は「視覚に障害があること」と定義されています。見る力に障害のある「視力障害」と、見える範囲に障害がある「視野障害」に大きく分けられます。
また、視覚障害には光を感じない全盲と、見えづらい状態の弱視(ロービジョン)に分けられ、視野障害には、狭窄、欠損、暗点などがあります。
視覚障害者は全国に30万人ほどいて、中途で視覚障害になる人は高齢になるほど多いという特徴があります。障害者手帳を取得していないロービジョンはその3倍くらいいると言われ、中途でなっても手帳を取得しておらず、福祉サービスにつながっていない問題もあります。
視覚障害者の仕事としては、鍼灸マッサージ以外だと企業のヘルスキーパーや学校の先生、公務員、音楽家、IT分野などが挙げられますが、石川県にはほとんどいません。
紹介したものは、「中途視覚障害者が盲学校理療科に進み、仕事に結びついた大成功の事例」である一方、「視覚障害者の職域でもあるIT企業を辞めざるを得なかったものすごく残念な事例」でもあります。視覚障害者の職域である仕事をなぜやめざるを得なかったのでしょうか? それは、ITが視覚障害者の職域であることを知ることができなかったことに他なりません。問題は多岐にわたり、視覚障害者の社会参画や就労に関する必要な支援が理解されないまま取り残されています。
独立法人高齢・障害・求職者雇用支援機構の「障害者雇用マニュアルコミック版」では在職中に視覚障害者になった人が、これまでのキャリアを生かして雇用が継続されるという事例が、マンガで掲載されています。国レベルではできると言っていますが、現実にできていません。これを実現することをこれからの人生の目標にして、「あうわ」の活動を始めました。
我が国における視覚障害者の就労状況
視覚障害者就労に関する課題はいっぱいありますが、その中でも、金沢市・石川県の課題を押さえておきます。
・視覚障害者の就労がわかる就労支援者(ジョブコーチなど)がいない
・理療(盲学校)以外の職業訓練が受けられる場所がない。職業訓練を受けられないから企業につながるのも難しい
・中途のロービジョンの対応がほとんどできていない。視覚リハビリテーションがうまくいっていない。
・ロービジョンケアを扱う眼科が著しく少ない。
以上の4つですが、これは地域格差もとても大きく、石川県は何十年も遅れている気がします。また、医療、教育、労働、福祉などのプロがこの問題に気付いていないことや、当事者もほとんど知りません。視覚障害者就労に対して地域全体で考え合い支援可能な土壌づくりが求められています。
活動をやっていても大きな変化はなく、活動のモチベーションを保つのは大変でしたが、2021年1月に大きな変化がやってきました。それは、東京・四谷にある日本視覚障害者職能開発センターが、全国に向けてオンライン職業訓練を始めたこと。すぐに手を挙げ、OA基礎コース(音声の読み上げソフトを使ってパソコンを使う訓練)の第一号として、受講を始めました。石川県内では受けることができなかった職業訓練が受けられるようになることは大きな進歩です。
働く場所が欲しい、選びたい、技術も習得したい……それが、なかなか叶いません。働きたいという思いを仕事に結びつけていくことを大事にしているのが私たちの活動。仕事は生活の糧ですが、生きがいや幸せにも通じます。施しを受けるだけの人生は辛いもの。そして、視覚障害の子どもたちが夢を描くことができる、未来の仕事へもつなげたいと強く思います。
障害の有無に関わらず、どんな人でも生きやすい社会になっていったらいいなと思っています。視覚障害は年齢が高くなるほど中途でなる人が多く、今後は近視の強い視覚障害になる人が増えるとも言われています。みなさんが自分ごととしてそんな社会を考えて、実現できたらいいと考えています。
働きたいのに働けない人たちを支援
続いて、奥山純一さんからは、ご自身の起業の経緯と、障害者就労支援の現状について紹介していただきました(以下要約・再編集しています)。
人材紹介会社に入社し、金沢支社の配属となりましたが、その時に障害者の就労先が極めて少なく、また他に紹介できる機関がないという現実を知りました。同時に母親が難病を患い、精神疾患も併発させ、仕事に復帰できずにいるのを身近で見ていましたので、それらののことがつながって起業する決意をしました。2012年に、障害のある人の働く希望をつくることを目的に、ヴィスト株式会社を設立しました。就労支援サービスを石川県を皮切りに、富山県、神奈川県へと展開。さらに、早期キャリア教育のための小中高向けの「放課後等デイサービス」や、未就学児を対象とした児童発達支援事業も始めて、多岐にわたって進めています。グループ会社では働くことに障害を感じる人を対象にした人材紹介事業も行っています。
環境や視点を少し工夫することで働きやすくなりことはたくさんあります。そして、働きづらさを感じなくなった時、働く上での障害はなくなります。障害には自分で解決すべき「個人モデル」と、社会全体でそれを解消していく「社会モデル」があり、例えば、段差をなくせば車椅子でも移動ができるようになるなど、社会の環境側を変えることで障害が解消されることもいっぱいあります。
福祉事業と一般の企業と、あるいは教育の分野、医療の分野との連携がうまくいっていないことが課題だと感じています。
山積みになった問題を解決するには
続いて、国連大学IAS OUIKの永井事務局長が加わり、参加者や永井からの質問に答えつつ、3人でのトークセッションへ(以下、ダイジェストで紹介します/敬称略)。
質問:林さんは視覚障害者の職域を広げると言っていたが、それは他地域では仕事ができるが、石川県では受け入れてもらえないということ?
回答:「企業側も自社の仕事をして欲しいと思っていて、企業に役立つ人材を送りださない限りは採用してもらえない。石川県ではその訓練を受ける場所がないから、新たな職域の人材が増えない」(林)。
質問:物事を福祉で捉えたらその中で完結し、それは教育や就労でも同じような状況をどう思うか?
回答:「福祉事業所と企業をマッチングする場を作ろうという企画はあるが企業の参加が少ない。しかし、聞けば企業側がそのことを知らない事実がある。企業側も障害者雇用の比率が上がることなど、どうすればいいか困っているのでニーズはある。両者をつなげるような役割を果たす仕組みが必要だと思う」(奥山)。
質問:それはどこがコーディネーションすればうまくいくか?
回答:「一事業所ではできる事は限られるので、地域のそういったことをやっていきたい仲間、企業も教育も福祉もみんな関わっているようなゆるい場ができればいいと思う」(奥山)。「金沢SDGs IMAGINE KANAZAWA 2030のプラットホームを利用して、方向性4の発展版みたいな感じでやれたらいいと思う」(永井)。
質問:視覚障害の就労支援は他の障害者より少ないか?
回答:「私たちのところの実績としては少ないのは間違いない。実は『受け入れてもらえないのではないか?』『受け入れられないのではないか?』と双方が思い込んでいるだけで、お互いが理解し合える場があれば変わるのかもしれない」(奥山)。
質問:新型コロナウイルス感染症拡大の影響はあるか?
回答:「ハローワークの障害者雇用の就職件数は下がっている一方で、コロナ禍で一気にICT化が進み、在宅就労の可能性が広がると思える。東京の仕事を石川県で行うこともあり得る」(奥山)。「石川県では鍼灸あんまマッサージの人が圧倒的に多く、訪問で仕事をしている人にはかなり影響がある。一方、県外で違う職種の人に聞くと、在宅勤務で移動をしなくて済むようになってすごくいいという話も聞く(視覚障害者は移動をするのも大変)」(林)。
質問:障害を持った人を一つの個性として捉えて、企業にその立場からアドバイスするビジネスモデルは成り立たないか?
回答:「カウンセリングだったり、ユニバーサルデザインに取り組んでいる人もいそう」(奥山)。「いろんな人が住みやすい街づくりをするデザイナーみたいな人。行政はそこに協力を要請する。そういう人はいると思っていたが、実はそんなにいないらしい」(林)。
最後に、この先に向けて想いを
「当事者として仕事をしながらなので、自分はなかなか動けないのですが、みなさんにこうやって助けてもらって、一歩一歩ちっちゃいことを積み上げて、さらに知ってもらいながら自分も行動できたらいいなと思っています」(林)
「自分たちだけだとできることは限られるが、枠組みを越えてつながることでできることの枠組みも広がっていきます。お互いがお互いの垣根を越え合うということを地域でやって、それが文化として根付いていけそうな気がしています。それを私も取り組んでいきたいと思いますし、みなさんも一緒に取り組んでいただけたらと願っています」(奥山)
「お互い一人一人が垣根を飛び越えて、またぜひ、このような場でやっていけたらいいなと思っています」と永井が述べて、SDGsカフェ#16は終了しました。
セミナーの動画もこちらから試聴いただけます。