2015年より「OUIKの里海ムーブメント」の一環として実施している「能登の里海」シリーズ講座、その第三回は、2015年12月12日(土)、石川県珠洲市にて、「海の底力!里海を支える貝類」をテーマに開催いたしました。珠洲の里海では古くから多様な漁業が行われ、中でもとくに波が荒くゴツゴツとした珠洲の岩の海岸がアワビやサザエの絶好の生息地となり、現在も地元漁師にとって貝類の漁は重要な生業になっています。本講座は、珠洲の里海に棲むアワビとサザエなどの貝類の生態系とその役割について発表と議論を行い、漁業関係者をはじめ、県内外の専門家、行政職員、地域の方など約60名の方にご参加いただきました。
開会挨拶ではOUIK事務局長永井三岐子より、2015年7月に七尾市で開催された海草をテーマとした第一回の「能登の里海」を皮切りに、8月の穴水町での第二回は里海資本論、そして今回は珠洲市で貝類と題した第三回の開催となることを紹介しました。
このシリーズ講座は能登の里海の魅力を様々な分野と視点で再認識することを目的とした「OUIKの里海ムーブメント」の研究活動の一環として2015年度より3年間、能登の9市町で順次開催するもので、里海の資源にスポットを当てながら、県内外の専門家を招いて地元の皆さんと一緒に能登の里海の保全と活用について考えていきます。
里海を支えるアワビ類・サザエの生態
基調講演では、東京大学大気海洋研究所国際沿岸海洋研究センター長の河村知彦教授が「里海を支えるアワビ類・サザエの生態」と題し発表しました。
日本人は古くからアワビを珍重し、アワビを生で食べるのが一般的ですが、中国をはじめとしたアジア諸国へ輸出するための干しアワビの技術も優れています。また、お祝いの時に使う熨斗紙(のしがみ)の「のし」はもともとアワビを薄くのばしたものを意味する「のしあわび」のことを指し、アワビは長生不死の象徴としておめでたい時に使うものです。
アワビの生態についてはあまり知られていませんが、アワビは2つの目と、長い歯を持ち、海底や岩場で速く移動できる巻貝です。アワビというのは大型アワビ類(クロアワビ、エゾアワビ、マダカアワビ、メガイアワビ)の総称で、世界中にアワビ類は100種以上おり、日本には10種のアワビ類が分布しています。東北の太平洋側と北海道の日本海側の暖流系大型アワビ類はエゾアワビの一種しか生息しておらず、その他のほぼ全国に分布する南方系大型アワビ類は、主にクロアワビ、メガイアワビ、マダカアワビです。 能登では、クロアワビ、メガイアワビ、トコブシ とサザエが獲れるといわれています。高級食材のアワビは現在南アフリカやオーストラリアなど世界中で養殖が行われています。
アワビの成長過程においては、世界のアワビ類の幼生は無節サンゴモという一種の海藻にしかつかないということがわかりました。成長に伴って棲む場所も餌も変わってきます。2mmのアワビの幼生は無節サンゴモ群落 に1年間ぐらい棲み、ケイソウ(小さな藻類)を食べ、2~30 mmになった幼生はテングサなどの小型海藻群落 に移り、海藻の幼体を食べ、3 cm~になるおとなのアワビは昆布やワカメの大型海藻群落に移り住み、海藻の葉を餌とします。アワビは1cmになるのに1年間、3~5cmになるのに 3~4年間、漁獲の対象の9~10cmになるのには5~6年かかります。アワビは平均15cmまでの大きさになり最長は30年以上も生きられますが、大きいものはすぐ獲られてしまうため、今は海の中にこのような大きいアワビはほとんどいません。また、アワビの幼生は孵化してから一週間海を10数kmまで浮遊しますので、海流の流れにより着底地が決まります。アワビの種苗放流は隣の海域と連携し広域にまたがって行うとより効果的です。
また日本ではよく食べられるトコブシ(床臥・常節)もアワビと同じ属の小型アワビ類の1種で、2亜種(トコブシ、フクトコブシ)に分けることもあり、東南アジアから日本の暖流域にかけて生息しています。アワビとの違いは、アワビ類は最大15~25 cmになるに対しトコブシは 最大10 cm、アワビ類は呼水孔の数は3~5個に対しトコブシは6~9個ですが、その大きさによって値段の差も大きくなります。
一方、同じ巻貝のサザエ(栄螺)という種は世界中に一種しかなく主に日本と朝鮮半島の暖流域だけに生息しています。サザエに似た仲間は日本に50種以上いますが、食用となる種はサザエ、ヤコウガイ、チョウセンサザエなど一部のみです。アワビと同じくサザエの幼生は1cmになるのに1年間かかり、最大10cmになるのは約10年かかると言われます。サザエの浮遊幼生は 有節サンゴモ(ヘリトリカニノテ)やテングサ上について、稚貝は海藻の中に隠れて生長し、5cm以上の成貝になると昆布やワカメの大型海藻群落に移り住みます。
即ち海藻はアワビとサザエにとって餌場であり、タコ、カニ、ヒメヨウラク、オハグロベラなどの天敵から身を隠す重要な成長の場所でもあります。そして、日本の磯におけるアワビ類・サザエの役割について、最も大型で数の多い植食動物のアワビとサザエは「磯における鹿(牛)」と言われるほど、旺盛な摂餌で、付着しやすく、浮遊幼生の着底場となる無節サンゴモを維持するという役割を果たしているわけです。
しかし日本での1970年以降のアワビの漁獲量の減少をみれば、人間が最強の敵であることが明らかになりました。そのアワビ資源の回復を目指し、1980年からエゾアワビの放流が始まり2000年代には年間18000万個もの種苗放流を行ったものの、放流によるエゾアワビの漁獲量の顕著な回復は一向に見られません。アワビ資源が増えない原因として、気候変動に伴う冷水の接岸による冬季水温の低下が考えられますが、 その他の天然稚貝が増えない要因にも注目すべきです。例えば、アワビが密集して生息すればメスの放卵をオスの放精のタイミングに合わせられ天然稚貝の発生につながりますが、本来密集分布する生き物 のアワビを、たくさんいる場所から漁獲すると広く分散して生息してしまい受精率が下がると同時に、着底環境、初期餌の環境も悪化してしまいます。 そしてアワビ類は平均20年間も生きられる寿命の長い動物なのに、現在はほとんどが数年で人間に捕獲されてしまい、絶対的な産卵量の不足により多産多死という状況に陥っています。また河川流域や沿岸の工事等により、土砂が海底に流れ込み、着底場や稚貝の 生息環境の悪化を招いており、それら生息環境の喪失はアワビの生息に致命的な影響を与える可能性もあります。
幸いなことに、アワビと比べて価格が安いので乱獲されにくいトコブシやサザエは親貝分布密度が比較的高く保たれて天然発生は比較的安定していますが、今後、アワビ類の資源回復を目指すには、適切な漁獲制限と種苗放流を活用し、種による生態的特性の違いを考慮しながら親貝の高密度群集の確立と、幼生着底場(成育場)の保護といった生態的特性に基づいた管理と増殖の方法に取り組むことが必要です。
珠洲の貝類と漁業権
漁協に長年勤め、珠洲の漁業に大変詳しい「おさかなマイスター」の前野美弥次氏は「珠洲で水揚げされる貝類・漁業権」と題する講義で、珠洲の海、岩場、砂泥地、汽水域、海面に浮遊する貝類に分けて珠洲の里海に生息する多様な貝類を紹介しました。
特に能登でよく食べられるサザエは、珠洲ではアワビと並んで夏の貝の代表であり、放流が盛んで漁獲量も多いため手ごろな値段で買え、バーベキュー等になくてはならない存在です。珠洲市では以前1個単位で売っていましたが、現在は㎏あたり単位で売っています。今の施設は整備されて良くなり、漁協で活しておいて出荷することもできます。サザエをよく買われる仲買人の方に話を聞くと、関西、関東に出荷するサザエは京都や鳥取方面のものと競争することになるが、珠洲産の評価が高いと言われました。しかし蓄養が上手く、市場の希望通りに出荷する九州方面から出てくるものには負けるとのことです。また、珠洲は姫さざえも出荷しており、磯の香りが強く他のものには負けないのですが、香りが落ちる9月になると、需用がないそうです。そして関西は角なしでも問題はないが、関東は角があって殻の薄いのが評価が高いとの事でした。 能登では、輪島に次いで珠洲は最もサザエの漁獲量が高く、合わせて年間276.9トン(2014年)となり、石川県の全漁獲459.7トンの60%を占めています。サザエの漁法は、主に網を海底に這わせて取る「刺し網漁」、「潜水漁」、船上から箱めがねで海底を覗き、ヤスやタモで取る「見突き漁」、夜間に浅瀬に上がってくるサザエやアワビを磯伝いに歩いて拾う「ヨサデ」という4種類が行われています。特に沖の漁に出られない年配の漁師にとっては、サザエをはじめとした貝類の漁は彼らの収入源になります。
珠洲ではマツバガイ、ベッコウガサ、ヨメガカサ、コナガニシ、ナガニシ、テングニシ、アカニシなど食用貝として美味しい貝類が豊富にいますが、漁業権を設定しているものと設定していないものがあるので、漁業権を確認したうえで利用していただきたい。漁業法は、水面で魚や貝をとったり、養殖したりすることについて、誰にどう使わせるかを決め、漁業の生産力の発展を図ることを主な目的とする法律です。「漁業は、漁業権がないと行うことができない」と勘違いされている人も多いのですが、そうではありません。漁業の種類は、おおむね「漁業権漁業」、「許可漁業」、「自由漁業」の3つに区分され、そのほかに「遊漁」があります。古くから、漁村で地先水面では、漁村の人々がアワビ、サザエ、海藻などを利用する権利が認められてきました。このような昔からの海の利用秩序は、漁業権に引き継がれています。禁漁期間を設けたり、サザエは蓋の直径2cmで貝殻5cm、アワビは10cmのもの以下のものを獲ってはいけないというルールを決めて、現在も漁業者は海の資源の管理をしています。
OUIKの里海ムーブメント
世界農業遺産(GIAHS)をはじめとした持続可能な農林水産業を専門に研究する国連大学OUIK研究員のイヴォーン・ユーは、OUIKの里海ムーブメントを発案した経緯、目的について説明しました。2011年に「能登の里山里海」が世界農業遺産として認定されてからの5年間は、里山を中心した保全活動が活発に展開されてきました。しかし「農業遺産」の名称は水産業と結びつかないという誤解の声もあり、地域住民をはじめ多くの水産業の関係者さえ能登GIAHSは水産業と関係していないという印象を持っているようです。そこで、能登の里海の魅力と重要性について県民と地域住民に、より理解してもらうよう、「能登の里海ムーブメント」の啓発活動を発案し、そのキックオフイベントとして2015年3月金沢市で「能登の里海」セミナーを開催しました。
「能登の里海ムーブメント」構想は、里海という概念の理解、能登GIAHSとしての里海の魅力と里海に関わる人々の生業について、県内外の方に認識してもらうように発信するとともに、能登地域を日本海の里海の研究と保全活動をリードする拠点として定着させる運動です。この運動を通して能登の里海の国内外の知名度を上げることにより、里海を生業にしている地域の人々の生計の向上を図りたいと考えています。そして能登の里海の魅力を「漁業」の観点からだけではなく、「伝統漁法」、「お祭り」、「食文化」、「生物多様性」、「風景・景観」などあらゆる分野から発信し、年に4回能登地域でシリーズ講座を開催します。県外専門家、地域のエキスパート、地元の当事者も講座を通してそれぞれの里海に関わる活動を地域内外に発信していただき、能登GIAHSの保全と活用に繋げられたらと考えています。
パネルディスカッションでは上述の3人の講師に加え、珠洲市で古民家レストラン「典座」とゲストハウスを経営する女将の坂本信子氏にも登壇していただき、珠洲の里海の保全と活用について議論をしました。新潟県出身で珠洲に嫁いだ坂本氏は、2005年から地元の食材を使った料理を提供するレストランを経営しています。料理の中では「サザエ飯」をはじめサザエもよく使われていて県内外から訪れてきたお客さんには好評です。地元の方も愛するサザエは、スーパーや食卓にもよく並び、たくさん消費されていますが、坂本氏のゲストハウスが位置する長橋漁港は刺網漁でサザエを5~8月の間にしか獲らないように自主的にサザエの資源を管理しています。しかしサザエ殻をどう再利用するかについて、工芸品、植木鉢、食器など磨いて利用するのは一般的ですが、まだ堆肥など循環的な利用の例がありません。来場者の中に前野氏が紹介した食用に適する珠洲の貝類の食べ方に興味を示し、料理としての活用を考えていきたいという多くの意見がありました。また里山と里海のつながりは貝類にどのように影響しているかの質問に対して、河村教授は現在「森・川・里・海の循環」が注目されているが、実際どうしてどのように影響をしているのか研究がまだ始まったばかりで解明されていない、と述べました。しかし今まで日本は陸と海を分断してきた結果海の環境が退化しているため、何らかの関連はあり、例えばアワビとサザエは雨水を嫌うので、淡水の流れはその生息に影響を与え得ると考えられます。
最後に珠洲市長の泉谷満寿裕氏は、地元の方々は能登の里海の豊かさに慣れていて里海の価値に気付きにくいが、この講座を機に、珠洲の里海の豊かさを再認識し、珠洲の貴重な地域資源を活かしながら里海資源の保全につなげたい旨閉会の言葉を述べられました。